キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー

前作「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」にてキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャーズが第二次世界大戦時に壊滅に追いやったナチスの分派・ヒドラ党。実は残党が地下に潜伏して力をつけていた。彼らは機を見て世界の支配者になろうと現代に姿を現し、世界の治安を守る組織・シールド内部に潜入して暗躍を始める。誰を信じていいかわからない状況で、70年ぶりに冷凍から目覚めたスティーブとその友人のサム、シールド長官のニック、諜報員のナターシャら四人は反目しながらも、協力して危機に立ち向かう。

キャプテンアメリカのデザインはやはり秀逸。レトロな外見でスタイリッシュな今どきのヒーローと比べると派手さはないが、星条旗カラーのスーツは普遍的なかっこよさがある。決戦に向かうときに過去に着用した思い入れのあるスーツに身を包むシーンは熱くなる瞬間だ。
彼は身体能力が高いだけで特殊能力は何もない。空も飛べないし蜘蛛の糸を飛ばせるわけでもない。だが、代名詞とも言える盾を使ったアクションは彼の特権。地球最強の高度を誇るビブラニウム製の盾を、時には戦闘ヘリに投げつけて撃墜し、またある時は前方に構えて壁をぶち破る。そして敵の銃撃を跳ね返しながら突進し、律儀に肉弾戦に持ち込む。他のスーパーヒーローたちが華やかに戦う傍ら、彼は泥臭く男らしい。
だが、やはりその戦闘スタイルは地味さを否めない。危険で強大な敵に立ち向かうのだからいい加減に拳銃の一丁くらい持つべきではないかと無粋なことを考えてしまう。派手に暴れまわるヒーローが多い中で、彼の戦いぶりが少々霞んで見えるのは仕方がないことだ。
そこをうまくカバーするのがサイドキックのファルコンことサム。
彼のスーツはキャプテンとは対象的に近代的でスタイリッシュ。機械の翼をはためかせ、軍で培った能力との相乗効果で戦場を文字通り飛び回り、キャプテンを援護した。サムも特殊能力が何もない元軍人の普通の人間。だが飛行スーツを装着した彼の戦闘力はかなりのもの。戦闘機やミサイルと空中戦を繰り広げるシーンは大迫力だ。
ただ、彼が危険な任務にあっさり参入したのには少々肩透かしを食らった。もう少しスティーブとの関係性を丁寧に描いたほうが、命がけの戦いに参加した説得力が生まれたと思う。

今作はキャラクターの描き方が非常にうまい。
主要キャラの四人がバランスを崩すことなく魅力を引き立たせ合い、それぞれ最高の見せ場がある。
それは戦闘シーンに限ったことではない。現実的な日常の些細な一言や仕草に、彼らの心情を汲み取ることができる。
例えばスティーブは、冷凍されていた間に起こった出来事や現代の流行を抑えようと、友人たちからオススメの音楽や映画をメモにとっていた。あんなに強いアメリカの英雄がメモを取る姿はどこか可愛らしかった。
ナターシャとスティーブの成り行きのデートも微笑ましい。ショッピングモールで敵を欺くためキスを交わすシーンは笑いを禁じえない。生真面目なスティーブは複雑そうな顔を浮かべ、やり手のナターシャはどこ吹く風で「下手くそね」といったニュアンスでさらりと彼を小馬鹿にする。そのギャップのあるやり取りは滑稽だ。

そして正体不明のヴィラン・ウィンターソルジャーも魅力たっぷり。
ヒドラ党に改造された彼の左腕はサイボーグ化されていて、銃弾も必殺の盾攻撃も通用しない。主要キャラ4人ともこの男に大苦戦を強いられた。
口数少なく任務をこなす姿は軍人然としていてカリスマ性がある。謎のマスクの下に隠れる本性には驚かされたし、容赦なく重火器をぶっ放してくるのは恐ろしい。強烈な存在感を誇っており、彼が姿を現すたびに全身に緊張が走った。
ラストのスティーブとの一騎打ちは手に汗握り、心臓の鼓動が早くなっていたのを覚えている。


世界中の人間が命の危機にさらされるクライマックスで、傷だらけのキャプテン・アメリカは持ち前の愛国心と正義感で奔走する。
自己犠牲を厭わない高貴なその精神は、まさに"キャプテン・アメリカ"だ。
彼のその熱いハートは、私の凍っていたヒーロー映画熱を再び呼び覚ましてくれた。

レディ・プレイヤー1

レディ・プレイヤー1」は私にとって特別な作品になった。

子どもの頃、妄想の世界で私はライダーキックやスペシウム光線といった必殺技で悪者をやっつけ、巨大メカを操縦して巨大な敵と戦うヒーローだった。
年をとるに連れてそんなバカバカしい妄想の世界とは距離を取るようになっていったが、スピルバーグは「レディ・プレイヤー1」で私の子供心を20年ぶりに呼び覚ました。

仮想世界オアシスの中ではプレイヤーは自分の分身である"アバター"を使い、どんな姿にでも変身できる。
欧米系のイケメンにだってなれるし、シュワちゃんのようなマッチョにもなれる。空を飛ぶスーパーヒーローにだってなれるし、はたまた異性にだってなれてしまう。
夢でしか見たことのないような幻想的な世界で宙に舞えるし、恐竜が襲ってくる危険なデスレースに命の心配をすることなく高級車で気軽に参加することもできる。

興奮が絶頂に達した場面は2回ある。
一つは私が5歳くらいの時に必死に練習したけど遂に修得できなかった"あの必殺技"を主人公が放ち、ピンチを乗り越えたとき。
もう一つは小学生の高学年の頃"ある有名ロボット"のプラモデルを初めて作ってそれを操縦して戦う夢を見ていた"そのロボット"が、印象に残るカッコいいセリフと共に登場して大活躍したシーン。
子どものときに妄想した世界がオアシスには広がっていて、鳥肌が立つのを抑えることができなかった。

斬新で素敵な仮想世界とは対象に、約20年後の近未来が舞台の現実パートはもはやSF映画では見飽きたディストピアな世界で目新しさがない。
20年後にしては技術が進歩しすぎていて説得力に欠けるし、アバターを操る現実のプレイヤーの姿も仮想世界とのギャップをあまり感じられず面白みがない。ラストシーンもありきたりで陳腐な上、ご都合主義な感じを否めない。正直ストーリーはほとんどオマケなようなものだった。終盤に主人公が涙を流したときには感動の押し売りのように感じて少し冷めてしまったくらいだ。「ウェイドよ、早くオアシスの世界に戻ってくれ!」と、主人公たちと同じ感情を抱いていた。
それでも、映画やゲームの英雄たちが同じスクリーンの中で大運動会を開いてくれたのだからお釣りがくるくらいにこの映画は面白いと言い切れる。
ウェイドと同じく80年代のポップカルチャーが大好きでこの時代に生まれたかった者の一人である私には「レディ・プレイヤー1」に物語性はもはや必要なかった。

オアシスで楽しむ方法は他にもある。それは自分が知っているキャラクターを探すこと。
ホラー界からはジェイソンやフレディ、チャッキーの姿を確認できたし、バットマンの宿敵のジョーカーやハーレイクインもいた。他にもロボコップやスポーン、ストリートファイターリュウやキティちゃんまで登場する。
自分が大好きなキャラクターをスクリーンの中で見つけるたびに「アイツがいた!」と心の中で叫んでいた。
また、映画の有名キャラクターが登場するだけでなく実在する映画の中へ冒険することもできる。
主人公たちはある名作ホラーの世界へ行くことになるが、その映画を見たことがなかったキャラクターの一人はストーリー展開を知らないため恐怖のあまり泣き叫び続ける。一方で視聴済みの主人公は何がその後に起こるかわかっているので攻略法を知っている。その設定が面白い。
私ならスターウォーズの世界で帝国と戦うジェダイになりたいと想像を膨らませた。残念ながら大人の事情で彼らが出演することはなかったが、そんな想像を膨らませてくれる楽しみもオアシスにはある。

スピルバーグは夢の世界へ何度だって連れて行ってくれる。私は子どもの頃からインディ・ジョーンズと一緒に世界中を冒険した。恐竜の世界にも踏み込んだし、巨大ザメの恐怖とも戦った。
そして今度は、子どもの頃に思い描いていた夢の世界へ連れて行ってくれた。

つまらない大人にならないためにも、スピルバーグのような子ども心を忘れない素敵なお爺さんになるためにも、Blu-rayが発売されたら購入して定期的に視聴するつもりだ。E・Tやジョーズの世界で両親と一緒に冒険したように、いつか未来の私の子どもと一緒にオアシスで冒険しよう。

映画館を後にしながら、そう妄想した。

奇跡の2000マイル

旅は人生の縮図だ。

濃厚な旅をする人は、その人生も同じく奥深く意義のあるものになるんだろう。
オーストラリアの広大な砂漠を半年間かけて、愛犬とラクダ四頭を連れて踏破した女性主人公のロビンを見ていて自然とそう感じた。非現実的な大冒険を描いた本作品は、ノンフィクションだ。
ロビンは過酷な旅の中で、今までの人生で関わったことのないタイプの人たちと多くの出会いを繰り返す。出会って別れて、また出会う。今生の別れだからこそ、その一瞬の出会いは貴重で得難い。多種多様な価値観を持つ人たちとの触れ合いの中で彼女の心は大きく成長していく。人付き合いにおいて言語はさほど重要ではない。オープンな心さえあれば、世界中の誰とだってうまく付き合えることを彼女は教えてくれた。

「たった1人で砂漠を突っ切るなんて無茶だ!」と、周囲の人間から突っぱねられても彼女は一切耳を傾けず、自分を信じた。死に直面するような場面に遭遇しても「旅を完遂する」という強い精神で肉体の限界を何度も打ち破る。数多の危機を乗り越えて実際に砂漠を踏破した強靭な意志には感服だ。
彼女はこの偉大な旅でどれほど多くのモノを得たのだろう。幾度となく死ぬ思いをしてまでも、自分の心に正直に成し遂げたこの冒険は、彼女の人生においてきっと大きな財産になったはずだ。

彼女の勇姿にも感動するが、オーストラリアの広大な大地と広い空もまた感慨深い。どこまでも続く地平線に太陽が沈み、夜はプラネタリウムよりもはっきりと見える星々が瞬く。
普段住宅街とビル街に生きる私にとっては、その情景はまるでこの世のものとは思えない幻想的な美しさがあった。
それに加えて音楽も非常に秀逸。大げさに盛り上げたりすることなく、主人公の心情を端的に表すような旋律が控えめに響く。ピアノの音色が特に心地よく、物静かな冒険にひっそりと色を添えていた。

こんなにも「終わってほしくない!」と思いながら鑑賞した映画は初めて。きっと、物語に見入ってロビンと一緒に自分も旅している気分になっていたからだ。
鑑賞後、自分自身オーストラリアへ旅をしたくなった。現地の景色を実際に自分の目で見て、身体で風を感じたいと強く思わせてくれた。
ラクダと犬との旅はしないにしても、バイクやクルマでオーストラリアの広大な大地を駆けぬける衝動にかられている。

やっぱり旅って最高だ。
「奇跡の2000マイル」は観た人に、人生で大切な冒険心と好奇心を奮い立たせてる。

ジェイソンX

ジェイソン、宇宙に進出。

8作目で最凶の殺人鬼は地元のクリスタルレイクから足を伸ばしてNYに上陸したが、その程度では飽き足らなかったようだ。彼のスケールは地球という小さな惑星では収まりきらなかった。

軍により危険視されたジェイソンは冷凍保存で封印される。だが、400年後事情を知らない未来の軍の科学者たちは彼を解凍してしまう。再び暴れ出すジェイソン。またも凄惨な殺戮が始まるかと思いきや、彼は未来の軍事力に一度屈してしまう。痛めつけられた彼だが、持ち前の強運とタフネスでメカ・ジェイソンとして復活する。そのビジュアルがアメコミのヴィランようで非常にカッコいい。
激しい怒りを表すかのような赤い瞳にシルバーのボディ、ロボコップのようなゴテゴテしたスタイルに思わず一目惚れしてしまった。メタルで覆われた肉体は銃弾を通さず、強烈な打撃も一切通用しない。過去作で意外に打たれ弱い一面を見せたこともある彼だが、非の打ち所がない完全無欠なモンスターになった。体がサイボーグ化するにとどまらず、何故かホッケーマスクまでメカ化したのには笑いを禁じ得ない。

進化したジェイソンはもちろん魅力たっぷりだが、彼に対抗する人間たちも素敵だ。彼らの戦闘シーンは熱く、本作の大きな見所だ。
軍隊長との一騎打ちは終始ジェイソンが優勢だったが、隊長の気合いに思わず最強の殺人鬼も押される場面があった。自分の職業に誇りを持った仲間思いのカリスマ性のある隊長は、今作で最高のキャラクターの一人だ。また、軍の女アンドロイドとのバトルはエキサイティング。一度は彼女に辛酸を舐めされられたジェイソンだが、サイボーグ化した彼は再び挑む。そして気合を込めてリベンジを果たす姿は感涙する。

宇宙船の中でモンスターに対抗するシチュエーションは「エイリアン」を彷彿とさせるが、今作は「エイリアン」に見られたような張りつめる恐怖や重厚感は残念ながら全くない。だがその分コミカルで、バトルシーンが盛り上がるものになっていて「エイリアン2」のようにエンターテインメント度は非常に高い。「ジェイソンX」は映画としての質はかなり低く典型的なB級映画と言っていい。しかし「エイリアン」と「エイリアン2」の要素を足して二で割ったような、良いところ取りの一本となっている。

今作は、13日の金曜日シリーズで恒例の殺人シーンもなかなか手が込んでいる。ジェイソンが封印から解かれた後の一発目の殺法、液体窒素に顔を埋めての顔面破壊は見応えがあった。それとVR世界でのお色気レディ二人殺しも見どころの一つ。
400年ぶりの殺人に待ち焦がれていたご様子で、暴れまわってくれた。

時代が移り変わっても山河は変わらず美しくあるように、彼もまた変わらぬ彼でいてくれた。

キューブ

突如理由もわからず謎の正方形の部屋"CUBE"に監禁された一行は脱出を図る。その密室には危険な罠が張り巡らされており、登場人物たちは次々と命を落としていく。
密室劇ということもあり舞台は単調。だが少ない登場人物の中身を丁寧に描いており、人間ドラマが面白く片時も目を離せなかった。危機に面したキャラクターたちの本質の描き方は素晴らしい。ある者は勇気を、またある者は醜態を晒す。その人が持つ肩書きや社会的地位は、極限の状況ではこれっぽっちも役に立たない。根っからの人間性が自分と仲間を救い、そして殺すことになる。ある人物の底にある狂気がむき出しになった瞬間には、恐怖で鳥肌がたった。
そんな中、一見冴えない人物が大活躍するのは痛快だった。
ストーリーの面白さに加えて90分という短さも集中して鑑賞できた一因だろう。

CUBE内の目が冴えるような色味は刺激的で、その中で起こる惨劇は目を覆いたくなるほど残酷だ。まるでアイスピックで精神をえぐるかのような凄惨な描写が続くが、無機質でスタイリッシュな室内で飛び散る真っ赤な鮮血はどこか美しく見える。モノクロのエンドロールすら見入ってしまった。観客をただ怖がらせるだけの一般的なパニックホラー映画ではない。無駄を削ぎ落とした脚本と洗練された舞台セット、人間の本質を問う内容は観ているこちらまで深く考えさせられる、高尚で芸術的な作品だ。

登場人物も空間も限られているし、予算も決して多くはなかったはず。それでもここまで面白い作品が作れることに感動する。

ハクソー・リッジ

初めて"戦場"映画を観た。
第二次世界大戦下の沖縄戦アメリカ側からの視点で製作された「ハクソー・リッジ」。
主人公は米軍で活躍するデズモンド・ドス。実在の人物だ。幼い頃のトラウマと宗教観の影響で人を傷つけることを極端に嫌う彼だが、周囲の反対を押し切り武器を持たない衛生兵として軍に志願することになる。

戦場で兵士たちは火炎放射器で火だるまにされ、爆発で真っ二つにされ、腹わたが飛び散る。そして肉が吹き飛ぶ音や骨が砕ける音が鳴り響く。
ゲームでも見たことのない生々しい描写が容赦無く続き心底恐ろしかった。だが、それらは現実に起こったことであり、悲しいことに現代でも続いている。その事実にまた恐怖する。見ず知らずの人間同士が鬼の表情で殺しあう様は、ただただ悲しかった。
実際の戦闘はもっと過酷なのだろうが、戦場のリアルを初めて垣間見た。そして、悲しみで涙が止まらなかった。

「殺し」が普通になっている異常な世界で、衛生兵の主人公の「人を助けたい」という素直な気持ちはより浮き彫りになって目立っていた。人を傷つけることを嫌い、銃を持つことを頑なに拒んだ彼は同僚や上官から「軟弱者」と馬鹿にされ続けた。しかし1番勇気を持っていたのは彼だった。「人を助ける」という信念を、銃弾が飛び交う中でも貫き通し、結果多くの命を救った。
ラストで流れるデズモンド・ドス本人の映像で「自分が助けた兵士が笑顔で喜んだことがとても嬉しかった」と穏やかな表情で語った。彼の根っからの優しさに感動し、また涙。

メル・ギブソン監督作品はハードな作品が多い。鑑賞後陰鬱な気分になることもあるし、疲弊感を感じることもある。だが、その分観客は製作陣の主張を偏向することなくストレートに受け止めることができる。「ハクソー・リッジ」は反戦を一切謳わず、悲惨な現実をただただ突きつけてきた。具体的で教示的なメッセージがなくてもリアルな戦場の映像表現を見ることで、戦争の恐ろしさを嫌という程知ることができる。そしてこんな世界は絶対にあってはならないと強く思わされた。

大画面で音響が整っている映画館で観るべき作品。
傑作。

ロボコップ

近年のアメコミヒーローたちは、スタイリッシュでヒロイックなカラーのカッコいいスーツに身を包んで"不殺主義"を掲げたり“女性は絶対に傷つけない"といった、お子様の見本になるような優等生が多い。が、87年に製作されたロボコップはそれらの主張を捻じ曲げるが如く、悪党どもを容赦なくぶっ殺す。しかも自分を痛めつけた連中には特に厳しい制裁を与えるという、ヒーローにとってはあるまじきアンフェアな一面を持つ。その描写はやけに痛々しく、たまらなく痛快だ。
治安を守るためとはいえ暴力があまりにも過ぎており、本当に彼は正義のヒーローなのだろうか?という疑問符がつく。もしも現実にこんな警官がいたら、悪党だけでなく善良な市民も恐くてたまらない。その存在を世論が許すはずはないだろう。しかし映画というフィクションの中では、ロボコップはこちらの要望に全て応えてくれる最高に頼もしい警官であり、最高のエンターテイナーだ。
彼のいかにもロボットらしいカクカクした動きと、"ウィーンウィーン"という機械音は哀愁を、そして笑いを誘う。敵の卑怯な罠にかかり動きが制限されたシーンでは応援しつつも、その動きが滑稽で思わず吹き出してしまう。敵の銃撃によって故障した頭部を自分自身で真顔で修理するシーンに至ってはシュールすぎて爆笑した。
不謹慎であればあるほど笑いを誘発される。こんな映画は他にない。ロボコップには申し訳ないが、心の中で「もっと酷い目にあってくれ!」と願っている自分がいた。

ストーリーテリングと演出が抜群に面白いのに加えて、ロボコップというキャラクターが本当に魅力的。
ロボコップ」という、いかにもな名前のダサさ。スタイリッシュとは程遠い、レトロでずんぐりしたデザイン。動く時の機械音と鈍さ。今日では間違いなくウケないであろう、これら全ての要素が愛らしい。
ひと昔前の映画だからこそある良さを、この映画では全て出していた。

近年はデッドプールがアメコミヒーローとしては不謹慎なネタやバイオレンスな描写で異彩を放ち注目を浴びているが、それら全てにおいて30年前に誕生したロボコップが上を行っていると断言できる。デッドプールは最初からブラックな笑いを狙いに行っているが、ロボコップはまったくの自然体。養殖と天然の差は、二本を観れば必ず理解できるはず。

やはり天然モノは、一味違うぞ。