レディ・プレイヤー1

レディ・プレイヤー1」は私にとって特別な作品になった。

子どもの頃、妄想の世界で私はライダーキックやスペシウム光線といった必殺技で悪者をやっつけ、巨大メカを操縦して巨大な敵と戦うヒーローだった。
年をとるに連れてそんなバカバカしい妄想の世界とは距離を取るようになっていったが、スピルバーグは「レディ・プレイヤー1」で私の子供心を20年ぶりに呼び覚ました。

仮想世界オアシスの中ではプレイヤーは自分の分身である"アバター"を使い、どんな姿にでも変身できる。
欧米系のイケメンにだってなれるし、シュワちゃんのようなマッチョにもなれる。空を飛ぶスーパーヒーローにだってなれるし、はたまた異性にだってなれてしまう。
夢でしか見たことのないような幻想的な世界で宙に舞えるし、恐竜が襲ってくる危険なデスレースに命の心配をすることなく高級車で気軽に参加することもできる。

興奮が絶頂に達した場面は2回ある。
一つは私が5歳くらいの時に必死に練習したけど遂に修得できなかった"あの必殺技"を主人公が放ち、ピンチを乗り越えたとき。
もう一つは小学生の高学年の頃"ある有名ロボット"のプラモデルを初めて作ってそれを操縦して戦う夢を見ていた"そのロボット"が、印象に残るカッコいいセリフと共に登場して大活躍したシーン。
子どものときに妄想した世界がオアシスには広がっていて、鳥肌が立つのを抑えることができなかった。

斬新で素敵な仮想世界とは対象に、約20年後の近未来が舞台の現実パートはもはやSF映画では見飽きたディストピアな世界で目新しさがない。
20年後にしては技術が進歩しすぎていて説得力に欠けるし、アバターを操る現実のプレイヤーの姿も仮想世界とのギャップをあまり感じられず面白みがない。ラストシーンもありきたりで陳腐な上、ご都合主義な感じを否めない。正直ストーリーはほとんどオマケなようなものだった。終盤に主人公が涙を流したときには感動の押し売りのように感じて少し冷めてしまったくらいだ。「ウェイドよ、早くオアシスの世界に戻ってくれ!」と、主人公たちと同じ感情を抱いていた。
それでも、映画やゲームの英雄たちが同じスクリーンの中で大運動会を開いてくれたのだからお釣りがくるくらいにこの映画は面白いと言い切れる。
ウェイドと同じく80年代のポップカルチャーが大好きでこの時代に生まれたかった者の一人である私には「レディ・プレイヤー1」に物語性はもはや必要なかった。

オアシスで楽しむ方法は他にもある。それは自分が知っているキャラクターを探すこと。
ホラー界からはジェイソンやフレディ、チャッキーの姿を確認できたし、バットマンの宿敵のジョーカーやハーレイクインもいた。他にもロボコップやスポーン、ストリートファイターリュウやキティちゃんまで登場する。
自分が大好きなキャラクターをスクリーンの中で見つけるたびに「アイツがいた!」と心の中で叫んでいた。
また、映画の有名キャラクターが登場するだけでなく実在する映画の中へ冒険することもできる。
主人公たちはある名作ホラーの世界へ行くことになるが、その映画を見たことがなかったキャラクターの一人はストーリー展開を知らないため恐怖のあまり泣き叫び続ける。一方で視聴済みの主人公は何がその後に起こるかわかっているので攻略法を知っている。その設定が面白い。
私ならスターウォーズの世界で帝国と戦うジェダイになりたいと想像を膨らませた。残念ながら大人の事情で彼らが出演することはなかったが、そんな想像を膨らませてくれる楽しみもオアシスにはある。

スピルバーグは夢の世界へ何度だって連れて行ってくれる。私は子どもの頃からインディ・ジョーンズと一緒に世界中を冒険した。恐竜の世界にも踏み込んだし、巨大ザメの恐怖とも戦った。
そして今度は、子どもの頃に思い描いていた夢の世界へ連れて行ってくれた。

つまらない大人にならないためにも、スピルバーグのような子ども心を忘れない素敵なお爺さんになるためにも、Blu-rayが発売されたら購入して定期的に視聴するつもりだ。E・Tやジョーズの世界で両親と一緒に冒険したように、いつか未来の私の子どもと一緒にオアシスで冒険しよう。

映画館を後にしながら、そう妄想した。