スター・ウォーズ episodeⅦ フォースの覚醒

ルーカスの手から離れたスターウォーズの新たな三部作の第一作目ということで注目を集めた今作。
ストーリーは従来のスターウォーズらしい王道の展開で、多少のシリアス感はあるものの気軽に楽しめる。相変わらずのご都合主義だがスターウォーズにおいてその点はもはや定番なのでそれは許されるだろう。敵の呆れるほど呑気な拠点防衛も微笑ましく見ることができた。
シリーズ初の女性主人公レイを演じたデイジー・リドリーは世界一可愛い。フレッシュで透明感のある彼女は役にハマりきっており、強さと弱さを併せ持つレイを見事に演じてきっていた。大きな転機も修行もなく突然フォースに目覚める急成長ぶりには少し置いてけぼりをくらってしまったが、きっと何か理由があるのだろう。次回作でその謎が解明されることを期待する。
ライトセーバーのバトルはやっぱり熱くなるしストーリーテリングも面白い。旧三部作に出演した懐かしの面々に再会したときは胸が熱くなった。
多くの点で良さが目立つ作品だ。しかし、観終わった後に素直に「面白かった!」と思えなかったのは何故だろう。
その大きな原因は主人公のライバルキャラに当たるカイロ・レンにあると思う。

旧シリーズはダース・ベイダーというスターウォーズシリーズの「顔」とも言える魅力的な敵キャラクターがいた。
主人公のルークとの関係性は衝撃を受けたし、メカメカしい黒ずくめの巨人という出で立ちは、いかにも悪そう。圧倒的な強さも相まって、強烈な存在感とカリスマ性を誇っていた。
反対に、今回の敵役カイロ・レンは非常に情けないヤツだ。捕虜は簡単に逃がしてしまうし、初めてライトセーバーを握ったレイに不覚を取る。しかも象徴的なマスクをあっさり外して早い段階で素顔を見せてしまう。アダム・ドライバーの甘い顔立ちはとても悪人には見えない。ベイダーが死の間際に初めてマスクを外す感動的なシーンとは雲泥の差。そこは最後まで焦らして、お楽しみにとっておいてほしい要素の一つだった。顔立ちだけでなく、体格もさほど大柄ではないため存在感も威厳も感じられない。新しいタイプの十字のライトセーバーも斬新ではあるが、特段カッコよくない。

そんなヘマばかりこいた彼に対して、上司のスノークは「奴の修行は全て終わった...」と満足げに言ってしまう。
主人公のライバルであるカイロ・レンは新三部作において超重要な立ち位置なので、episodeⅧ、Ⅸにかけて強くなって活躍していくとは思う。だが、本当に修行を完遂してこの体たらくぶりなのであれば、革新的な出来事が起こらない限り辻褄が合わない。

新シリーズが、というよりカイロ・レンの修行が軌道修正されることを切に願う。

シェイプ・オブ・ウォーター

デルトロワールド全開。

個人的にファンタジー映画は子供っぽくて苦手だが、デルトロ監督の「パンズ・ラビリンス」でのダークすぎるファンタジーの世界観に惚れ込んだことがあるため 「お子さま向きの映画ではないだろう」と期待していた。
結果、物語早々にヒロインの自慰シーンを拝見した時点で私好みの作品であることを確信した。

常時水中を連想させる緑と青を基調とした光が照らされていて、ドレスや建物の内装、タイムカードといった小道具まで徹底して同系色で統一している。そのうえストーリー上で水にまつわる状況が多々ある。例えば半魚人の研究所の水槽、トイレ掃除、雨の日、風呂場と、常に水を意識させられた。そのため、日常のシーンでもあたかも水中にいるかのような不思議な錯覚を受けた。

デルトロ監督といえばクリーチャーの造形が深いことで有名だが、今作も例外ではない。
老若男女誰が見ても半魚人と答えるであろう、見事に魚類と人類の中間を行くデザインをしている。そのビジュアルは一見おぞましいが、物語のメインキャラである彼についてはいくらでも語ることができるほど魅力的。半魚人は人間とコミュニケーションを図ることができるうえ、心優しくユーモアがある。身を呈してヒロインを守る彼に非常に愛着が湧いた。

そのリアルな肌質はスクリーンから見ているだけで魚類特有のヌメリけのある触感がわかるほどディテールに富んでいる。
だが、おぞましさだけではなく神々しさや可愛げも持ち合わせている。
彼の好物はゆで卵で、映画や音楽に夢中になる姿はまるで無垢な子どものよう。
また、人間と心を通わせたときに身体をLEDライトのように青く発光する様は美しい。
生まれつき耳が不自由で会話ができないヒロインと手話を使って種族を越えたコミュニケーションを図るシーンには感動した。

本作の主要な登場人物はみな孤独を抱えている。
障害を持ち、意思の疎通が困難なヒロイン。仕事を失ったゲイの老人。そして半魚人。みな社会から隔離された者たちばかりだ。
そんな孤独な彼らは協力して、仲間の危機を乗り越えようと奔走する。
私自身も一般社会の中の少数派だと感じることがあるためか、マイノリティ側の人たちを見るたびに切なく愛おしくなり、抱きしめたくなる感覚に陥る。

シェイプ・オブ・ウォーター」はどこを観ても美しいシーンばかりだが、その中でも最も美しい場面は風呂場の扉と栓を閉め切り、部屋を水でいっぱいにするシーンだ。水に沈んだ風呂場というのも幻想的だが、その中で抱き合う2人は神秘的で特に印象的。
エンドロールでは、まるで自分がふわふわと水中に漂っているかのような不思議な余韻に浸った。
鑑賞後、プロローグで水中に佇む廃屋と女性を思い出す。その意味を知り、感慨に耽る。

辛いことや悲しいことが身の回りで起こると、現実逃避をしたくなるものだ。
そんなときは恐ろしい外見の半魚人があなたを、優しく甘美な幻想の世界へと誘ってくれることだろう。

BACK TO THE FUTURE

BACK TO THE FUTUREが映画館で復活上映されたことがあった。30年前の作品なので中年の観客が多いと思いきや、思いの外20~30代が多かった。この作品が時代を超えても評価されているのだと実感した。

物語は主人公のマーティが親友で科学者のドクを救うために、タイムマシンに改造されたデロリアンで1985年から、1955年に遡るというSF映画

何度も観ていて結末は知っているはずなのに未だにハラハラするのは何故だろう。それはBGMの影響が大きいと思う。子どもの頃に遊園地や水族館で味わう高揚感と同じものを、BACK TO THE FUTUREのテーマ曲は持っている。そんな童心を思い出させてくれるような音楽が、手に汗握るエキサイティングなシーンでかかって興奮しないわけがない。

他に映画を盛り上げる大きな要因の一つが、改造された車・デロリアンである。この車をタイムマシンに選んだことは英断だ。今となっては超がつくほど型落ちの車だが、ガルウィングでカクカクの尖ったその車体はTHE・アメ車で、今見てもほれぼれするほどカッコいい。仮にこのビジュアルで現代の車と同性能ならば、多くの人はこっちを選ぶだろう。そのデロリアンが、タイムトラベルをするための近未来的なクールな装置をいっぱい詰め込み活躍するのだ。このマシンが大暴れするシーンに大人も子供もワクワクしないわけがない。

デロリアンも魅力全開だが、登場キャラクターもみんな楽しくていい奴らだ。うだつが上がらないけど明るいパパ、マーティと随分歳が離れているけど対等な友達として接するドク、嫌な敵キャラのビフまでもどこか愛くるしい。こんなキャラクター達が物語を和やかで底抜けに明るいものにしてくれる。

ただ、究極のご都合主義な映画であることは間違いない。主人公は幾度も危機を迎えるが全て上手くいくし、最終的には並の映画をはるばる超えるハッピーエンドを迎える。その点を気にする人もいるかもしれない。しかし、「BACK TO THE FUTURE」はただの単純なおバカ映画では決してない。寝っ転がって何も考えずに観ることができる映画でもあるが、タイムトラベルというジャンルである以上深い考察もできるし、ラストシーンのドクの何気ない一言もよく考えれば誰の人生においても深い意味を持っていると気づく。伏線も多く張っており細かい描写が多い。例えば、マーティがタイムスリップした1955年には時計台の上には無いあるキャラクターの像が1985年のシーンには設置してある。また、中盤で登場するダイナーで働く黒人の青年は、物語の冒頭で未来の市長になっていることがさりげなく明示されている。これ以外にも小ネタやトリビアが数多く存在していて、観るたびに新しい発見のある映画になっている。こういった遊び心も何度も観られる作品になった要因の一つだろう。

BACK TO THE FUTUREのテーマが流れるエンドロールを終え、席を立つ時の会場の観客の反応を見る。みんなにこやかな表情だ。30年以上前の作品にもかかわらず、未だに多くの人から愛され続けている。それほど熱い興奮と感動がこの映画には詰まっている。「BACK TO THE FUTURE」は製作された1985年から、未来へ向けて放たれたデロリアンなのだ。